『自由』
中国では「反体制」的な発言をすると「投獄」され、酷くなれば「処刑」されるという。何も中国だけに限らず「アメリカの盟友・サウジアラビア」では日常茶飯事の出来事だという。
北朝鮮やアフリカの内戦国は論じなくてもいいだろう。そう考えて世界中を見渡すと、何と人間の半数以上は不自由な国や地域に暮らしていると分かる。

「自由」とは「魂」の解放感ではない。「魂」の解放はどんな社会でも可能だから、人に伝えず黙してすればよい。現実社会において「何を選択するか?」を表明し、実行できることが「自由」なのだ。
この意味で私達の持っている「自由」は「選択の自由」でしかないのだが・・・
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「職業選択の自由」「住居選択の自由」「配偶者選択の自由」etcが満たされない国家や社会が地球上には掃いて捨てるほどある。悲しいね。
もっとも「選択の自由」があるところでも外的要因(金銭的、宗教的、家族関係要因etc)で選択肢が狭まっていて、選びたくても選べない「選択肢のない自由」状態を呈していることも多々あるだろう。

「自由」についてじっくり考えると、私たちは「選択の自由」を享受していて、本質的な「選択しないという自由」を行使しにくい環境にいることに気づく。
市長(都知事)を選ぶ際も「選択肢の候補者」からしか選べないという制約があるので、基本的に体制が大きく様変わりすることはないように制度的に完成している。
これを「安心弁」と呼ぶか「不自由」と呼ぶかはその社会の成熟度と関係しているから、その意味では日本に暮らす我々は随分とましな方だが、まだ「野蛮」と言える程度の進化しかしていない。

私たちはその都度ごとに自分の前に現れる分岐時点で選択をして生きている。
仕事を選ぶとき、恋人を選ぶとき・・・ 
今夜の晩御飯を決めるとき・・・
未来を選択し、選択した過去に縛られる。

日本では「教育」「勤勉」「納税」が国民に課せられた「国是」だから、反すると「指導」や「措置」あるいは「収監」されたりもする。何よりも「集団家族国家」だから「白い目(=人格否定)」で見られて仲間外れにされる等と嫌な思いをするだろう。

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それが・・・
年金が頂ける年齢になると、「双六の上り」よろしく「教育」「勤勉」から解放されるから嬉しい。日本に生まれたので「納税」から解放されるには「無一文」になるしかないのだが・・・

突き詰めて考えれば「絶体自由」は「選ばない=何でも受け入れる」にあると分かる。
「なんくるないさ」の精神が「絶体自由」なのだ。

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「選択の自由」を未来に向かって放棄したときに「探求」「追及」「獲得」「合理性」にではなく「受容性」「なんくるないさ」に真の自由があると信じている。


『平等』
人間は地球に生きている動物の一種族なので「平等(=同じ)」に生まれているはずがない。
特に「資本主義社会」では産まれてきたバックボーンも違えば、生まれつきの顔形、体形、明晰さ等には「個性」と呼ばれる千差万別が生じる。
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同じ親から生まれても、環境も酷似している兄弟でも、一卵性双生児でも「個性」は異なる。
複雑な「DNA」と「RNA」の転写を繰り返し「2のn乗倍に分化していく」のだから、当然の帰結と言えよう。
おまけに「資本主義社会」では「裕福」に生まれた人と「そうでない環境」に生まれた人とでは、その後の「チャンス」の有り様が異なる。
出生自体が「平等」でないのだから何を「平等」と言うのだろう。

人は「それなりに長い人生を刹那に切り分けると」すべての瞬間がユニークで異なっている。
あなたの昨日の20:21:03秒時の思いや行動と私の20:21:03秒時の思いや行動が違うように、それぞれがユニークで比較するべきものでもない。

人の持っている「時空」はそれぞれだから、「体験」「出会い」「人生」etcは「比較できないユニーク」さで成り立っていて、その「ユニークさ」を持っていると言う意味で すべての人は「平等」と言えよう。
「ユニークさ」を舐めるように味わいつくすことが肝要だ。


『博愛』
私たちの存在は本来「DNA」の運び屋の運命を背負っている。各々の「DNA」が未来永劫に生き続けるために我々の体を媒介して運用しているわけだ。
この意味で、種族(人間)を増やすために、子供を作るために、私たちは体内にDNAによって様々な仕掛けを作られていて、他人を愛すること、好きになること、競争することもその一環だ。
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(詳しくは「利己的な遺伝子」をお読みいただければと思う。)
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私たちが担っている「DNAの運搬船」として、「愛」の作用を考えれば 「愛」は私たちの存在そのものを意味しているし、あなたの存在そのものを意味している。
だから「愛」ゆえに「私」は存在するし「あなた」も存在している。
「愛」と言う途方もなく大きな絨毯に結ばれた「一本の糸」が私たちの存在なのだ。



刹那のユニークさを楽しんで、愛を感じる。
名前のない空の下で 素敵な人生を送る。
これが生きる目的さ。