那覇では親友の「智」が退院して楽しくお顔を拝見でき嬉しかったし、10+年ぶりに「族長」にもお目にかかれた。
「智」は早々に商売に復帰していたので、のんびり過ごすように勧めて、那覇で無くした「レーバン」に替えて「シルエット」のサングラスを求めた。
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いや「求めた」たと言うよりは「退院の内祝いさ」と、あまりに安く値引きしていただいたので購入させていただいたという方が適切かもしれない。
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「82同盟」なる縁のなせる技も手伝って、来年末には「5分の兄弟杯」を交わす約束をして今年はお別れをした。元気で大事に生き生きとをモットーに!

「族長」は宜野湾に越して以来、11年前に医師を辞めて「作家」活動に専念しているという。歳は3つ上で「週1アルバイト」で医師に戻ると言うが、「医者は信用すると碌なことはないよ!」とアドバイスしていただいた。
私の今年3月に起きた「CA19-9(癌マーカー)」の異常上昇で、東京の従妹の医師から その後の経過観察や病院紹介でお世話になった事が連絡されていて、やきもきさせたらしい。
「族長」は13歳で上京して以来30年ほど東京暮らしだったから都内の地理にも詳しいし、大学で教えもしていた関係で母校の沖縄同窓会会長をしているという。専門は「内科」だが、『最近はもっぱら口で治す呪術医みたいなものさ』と自虐的に笑っていた。
思わず頷いてしまったのは不覚だったなぁ~
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処女作は来年あたりに完成するそうだ。
タイトルは「宮古-東京-沖縄」だそうだ。『自叙伝ですか』と尋ねたら「宮古高校」を卒業して「コザで闇商売」をして「東京の神学校で学び」現在は「那覇で」神父になっている「おじさん」の話さ、と言われた。
いやはや一族にはいろんな方がいらっしゃるものだ。
「族長」のお父上(私にとっては叔父にあたるが)が宮古島の広大な土地をリゾート開発会社に「1坪3ドル」で売った話も興味深かったし、嘗ては空港から叔父上が開業している病院名を言えば知らない人はいないので、「TAXI」に道案内をすることもなかったそうだ。
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宮古島市の「熱帯植物園」の片隅に叔父上の記念歌碑が立っていると言うので、来年は訪問してみよう。
今年の「来沖」は様々な人との繋がりを確認する良い機会となった。
どうも2017年(=66歳)と言う歳周りが「矩を踰えず」を準備し始めた気もする。


明日30日の夜に寒い東京に帰り、翌31日は「年越し」の準備をする。
だからとて何か特別なこともなく、ちょっとした後片付け程度だ。
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夕方は「鞍馬(西荻窪のお蕎麦屋さん)」さんにお邪魔して「年越しそば」を頂いて、夜は暖かくした「1001」でカウントダウンを迎えよう。
サプライズでどなたかが遊びに来てくれるなんてことがあれば大歓迎なのだが・・・

年明けはそれなりに予定が決まっているので、1~3日にお屠蘇気分に浸りながら3か月程度の「お出かけ」スケジュールを確認・設定して、4~6日をそれなりに忙しく「♠♡♢♣」で過ごし、7日には暖かいハワイへ出かけよう。

お友達sには毎年とは言えお世話になり有難いおつきあいに感謝しております。
どうぞ よいお年をお迎えください。